ツナとササミ

旧ブログ/210

くだらないことを考える

  • 投稿日:2005-03-23 00:00:00
  • カテゴリー:コジコジ

最近読んでいる本が「知能の謎 認知発達ロボティクスの挑戦」。

けいはんな社会的知能発生学研究会とかいう団体のメンバーの共著らしい。
要はいろいろな分野の人がロボットを使って人間の知能に本質にせまって
いこうということらしい。

合間合間にメンバー同士の会談が挟まっているのだが、内輪にしか通じない
ようなノリがそのまま掲載されているので、読んでいるとなんだか会に入れて
欲しくなってくる。どうにもリベラルな会のようで机の上にしがみついている
だけじゃないようである。卓球大会のような催しもやっているとのこと。

自分は人口無能に昔から興味があるので、何かヒントになるようなことを
書いていないか探していたのだが、この本を読んでいたらいろいろ実践
してみたいことができてきた。さすがに今は時間がないので、明日から
取りかかる訳にもいかないが、機会があったらやってみようと思う。

本書でフレーム問題のことがわかりやすく載っていた。
フレーム問題・・・ロボットが何でもできるようになるためには、
いろいろなことを計算しなくてはならないが、計算量が増えると
計算が終わる前にまた新たに計算しなければいけないことが
ドンドン増えていき、いつまでたっても計算が完了しないので、
結果ロボットは沈黙してしまうという問題(と認識している)

人間は計算をある程度省いているからフレーム問題が起こらない
らしい。確かにロボットと違って歩くときに足の角度の計算を
行うことなんかない。ロボットは右に曲がるにしても、
どの程度曲がるにはどうすればいいのかといったようなことを
一生懸命計算しているのだ。人間には過去の経験という
既に計算済みの情報があるからイチイチ再計算しなくても
よいのだ。
ロボットも同じように一度計算したら計算結果を記憶しておけば
いいのだが、今度はどこの計算結果をしまっておいたか
引き出しを開けまくって探さなければならない。
人間は、引き出しの場所を意識しないでもすぐに探し出すことが
できるのだ。自分がもしロボットだったら人間を神様のように
敬ってしまうことだろう。

ロボットは人間のようにいかにして引き出しを探し当てれば
いいのか、工学的に、あるいは生物学的に、はたまた数学的に
考えていくとのこと。

ロボットといえば未来の社会の象徴的な存在だが、
ドラえもんよりもどこでもドアが欲しいというのが本音である。

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